インターネット接続サービス 5

CATVの情報提供サービスは、自主放送番組の中で、各種地域情報を番組として流すことにより、地域密着型の情報ネットワークとして機能してきたが、ここに来てインターネット接続や高速データ伝送を活用した情報提供型サービスへの展開が具体化してきました。


インターネット接続サービスを利用した各種情報の提供や、衛星放送を利用したインターネット接続、静止画像情報サービスなど付加価値サービスへと進んできていました。


CATVの役割としての情報提供サービスの充実にインターネット接続サービスを活用することが、CATV網の高度利用の本命と言っても過言ではありません。

インターネット接続サービス 4

CATV電話普及営業のための重要な戦力になることが予想されました。


インターネット接続サービスは、CATV事業者にとってサービスメニューの多様化や双方向通信機能の活用、通信事業への展開との観点からは有望なものです。


しかし、現状でのサービスは、2次プロバイダーとしての事業化が多いことから、大手プロバイダーや通信事業者のための顧客囲い込みの要素も否定できませんでした。


CATV事業としては、プロバイダー事業でなく、情報提供サービスによるCATV網利用が重要なポイントでした。

インターネット接続サービス 3

多くの顧客を対象とするには、個人向けサービスとしてダイヤルアップ接続をメインとする必要がありました。


企業などにターゲットを絞りサービスを行うことも可能です。


一部の事業者では、このケースを模索していました。


電話サービスを開始したCATV局では、インターネット接続サービス開始の準備を進めていました。


CATV電話利用のダイヤルアップ接続も可能となり、インターネット接続希望ユーザーの電話加入促進にも効果が期待できました。

インターネット接続サービス 2

インターネット接続サービスへの期待が高まると言われていた理由としては、


初期投資が比較的安価であること、郵政省や自治体によるインターネット接続利用への支援があること、CATV網の特長が利用できること、インターネット接続の急激な増加があること、などが挙げられます。


事業化にあっては、放送視聴者以外の一般ユーザーへの積極的な拡大を推進したり、あるいは、企業や特定顧客に対象を限定し、サービス内容的にもインターネット以外の専用線サービスやイントラネットを追加したり、


さらには通信事業者などの技術や資本やサポート体制を活用するなど、サービスの多様化とターゲットの絞り込みが必要となります。

テレビ放送の開始と家庭電化製品

昭和27~35年の庶民生活を象徴するものは、なんといっても、テレビ放送の開始と家庭電化製品の普及といっていいでしょう。


時代は少しさかのぼりますが、戦後間もなく、NHKラジオからこんな放送が流れました。


「電気の目覚まし時計で起き、電気の安全カミソリでヒゲを剃ります。


・・・・・朝食にはまずオレンジか、人参やセロリーなどの野菜を電気の機械で簡単にしぼった汁を飲んで、狐色に焼けたパンにバターをつけます。


電気のトースターだとほんのり焼けたところで自動的にポンと出るのです。


コーヒーを飲みながらラジオのニュースと天気予報を聞いてご主人は働きに出かけ、奥さんは台所のあと片づけと洗濯と、家の中のお掃除をいっしょにやります。


・・・・・洗濯機械の中に、シーツ、タオル、シャツ、子供の服、ハンカチなどをほうりこみ、粉石鹸を入れてスイッチをひねる。


・・・・・その間に奥さんは電気の真空掃除機でプーンと掃除をしてしまう」これは、敗戦直後の日本で人気を呼んだ『アメリカ便り』シリーズのひとつ、当時のアメリカ人の日常生活を描写した放送の一駒である(石川弘義著『欲望の戦後史』による)。


いまからみると、なんのことはない、こうした生活は、われわれ日本人のごく日常的な朝の風景とそれほど変わりません。


この頃にはまだ外壁リフォーム技術は確立されていませんでした。

インターネット接続サービス 1

多くのCATV事業者は、インターネット接続サービスの事業化欲が強く、新たな事業展開として期待を膨らませていました。


全国で初めて事業化したのが東京都の武蔵野3鷹ケーブルテレビでした。


97年3月末でのインターネット接続サービス実施局は2局、実施予定局が7局となっていました。


第一種電気通信事業者の許可を得たCATV事業者は7月末までに22社となり、インターネット接続を行う事業者は11社と急増していました。


CATV網利用のインターネット接続での実験や事業化の熱が全国に広がっていることから、今後続々とインターネット接続サービス実施局が急増することは間違いありませんでした。

甘党さん その5

久しぶりにその同じ店で同じチョコレートケーキを前にして、私は今や二児の母となった友人と向かい合っていました。


「相変わらず、レシピ教えてくれないのよ、ここのおやじったら」以前のトンガリはないにせよ、友人は前にもましておかしかったですねv


「上の子の時もそうだったけど、今度もまた、ま、いってみれば卵を産むようなもんだったわね」異常なほど安産だったため医者も看護婦もあんぐりと口を開けていたと、彼女はいいました。


そろそろ下の子の離乳食を始める頃だが、また上の子の時と同じように「この店でチョコレートケーキを買っていってまず、自分が四分の三食べた後、残りをつぶして与えるつもりだ」といっていました。


本気と冗談の境界線が、友人の場合、一体、本当はどこにあるのか、とうとう最後まで私にはわかりませんでした(´ω`)

甘党さん その4

前回の続きですが、無愛想な店員が私たちのテーブルに人数分だけ切り分けたチョコレートケーキをばたばたと運んできました。


濃厚で巨大なそのケーキには側面にフォークがブスリと差し込まれています。


ご飯にお箸を立てるのはお葬式の時だけ・・・と子供の頃よく注意されたことを思い出し、何だか悪趣味、と私は感じていたがそれがこの店の独特のやり方なのであった。


参加者はそれぞれ自分のフォークを引き抜き、甘さと苦さの絶妙な調和感を舌の上で確かめながら一口一口じっくりと味わってケーキを食べる。


それはまるで何かの秘密結社の集まりでのおごそかな儀式のような気配なのでした。


結局、私たちの計画はその稚拙さとタイミングの悪さにより頓挫し、参加者たちはそれぞれに自分のまっとうな仕事へと戻っていきました。


もとよりリーダー格だった友人がおとなしく結婚して野心も何もかも捨ててしまったのだから、この会がいわば自然消滅してしまったのも当然といえば当然です。

甘党さん その3

日仏にまたがる美術品の売買に広告やイベント企画のプロモーションをドッキングさせたそのプランには、私たち二人の他に友人の知り合いという若い画商とか広告業界の人たちなども参加しました。


全員、20代でした。


夢のような計画を話し合うそのミーティソグは、いつもこのマレ地区のビストロで、昼下がり、チョコレートケーキと共に行われました。


男も女もみんなチョコレートケーキを食べる。


誰が指図したわけでもないが、そういうふうに何となく決まっていたのです。

甘党さん その2

経営はユダヤ人ですが、事情通の友人によれば「ヨーロッパ系ではなくて、北アフリカ系のユダヤ人」なのであるといいます。


「このケーキのレシピを教えて欲しいって何度も頼んだのに絶対に教えてくれない。もったいぶってるわよねえ」


友人に言わせれば「まったくあの人たちっていうのは排他的なんだから」ということになります。


ともかく、そのお勧めのチョコレートケーキを囲んで、まだその頃お互いに独り者だった私たちは興奮状態に陥りながら壮大なビジネスの計画などを立てていたものでした。

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